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認知症のこと、真剣に考えてみました

認知症高齢者に対して考えさせられる2つの記事がありました。一件目は2007年、愛知県大府市で、徘徊中に列車にはねられ死亡した認知症の当時85歳の男性の妻や長男らに、JR東海が約720万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、91歳の妻のみに約360万円の支払いを命じたもの(http://www.jiji.com/jc/zc?k=201404/2014042400715)、もう一件は同じく2007年、群馬県館林市で保護され、今年の5月12日まで身元不明で民間の介護施設に入所していた東京都台東区の67歳の女性側に対して、館林市がそれまでの生活費を請求しないと決めたものです(http://mainichi.jp/select/news/20140517k0000m040083000c.html)。

 
認知症の方は、全国で462万人、認知症になる可能性がある軽度認知障害の方も400万人いると推計されています。65歳以上の高齢者のおよそ4人に1人が、認知症とその予備軍ということですから、誰もが今回のような事故に遭遇する可能性があるといえます。NHKが各都道府県の警察本部に取材した結果、認知症での行方不明者は2012年の1年間でのべ9607人、うち351人が死亡、208人が2012年末時点でも行方不明のままだった、とのことです。届出件数だけでもこの数ですから、実際はさらに大勢の行方不明者がいることが予想されます。

 

いずれの件に関しても、ネット上では賛否両論が飛び交っています。前者に関しては、「到底理解できない」「介護の現場が分かっていない」「高齢者の閉じ込めに繋がる」といった、『JR東海の対応は問題ないけど、司法の判断はおかしい』とった論調が多いようです。後者に関しては、「賢明な判断」「多少は払ってもらうべき」「館林市民で特養に入れず待ち続けた人がどう思うか」と、賛否両論が出ています。いずれの考えも一理ありますし、判断を下した名古屋地裁や館林市も悩み抜いての決断だったと推察します。

 

前者の事例について、西日本新聞の記事を参考に少し詳しくみていきましょう。当時、男性は要介護4、要介護1の妻と2人暮らしでした。横浜市に住む長男の妻が男性の自宅近くに移り住み、手分けして在宅介護をしていました。長男も月に3回程度、定期的に様子を見に行っていたそうです。男性はデイサービスから帰宅した夕方、長男の妻が屋外で片付けをし、妻がまどろんだ間に外に出て徘徊中に事故に遭いました。この男性は、今回の事故の前にも2回徘徊で保護されており、家族は自宅玄関にセンサーを設置したり、警察に連絡先を伝えたりしていました。男性が外出したがった際は長男の妻が付き添い、気が済むまで一緒に歩くこともあったそうです。それでも裁判では「民間のホームヘルパーを依頼するなど、在宅介護に支障がないよう対策を取るべきで、同居の妻は監督義務者の地位にあり、行動把握の必要があった」と断じています。

 

極力私見は挟みたくないのですが・・・これは厳しい!これだけしっかりした対応をされている家族は、むしろ少数派ではないかと思いますし、要介護認定を受けている妻に監督義務権云々を論じるのも難しいと思います。こういう判決に対して、「部屋に閉じ込めておくしか・・・」「それでも駄目なら柱に括りつけるしかない」「介護するほど責任を問われるなら、あまり関わるのは止めよう」「家で最期を迎えるのは大変だから、施設に預けよう」といった意見が出てくるのも、仕方がないかもしれません。もし男性が認知機能に問題がない時に「最期は畳の上で迎えたい」と家族に伝えていたとしたら・・・何とも悲しい国だな、と思います

 

認知症

 

そもそも、何故この御家族が今回のように自宅で頑張られたのでしょうか。事情は様々だと思いますが、ひとつの理由としてこの国の福祉体制の変遷が関係しているのではないかと思います。現在、高齢者の福祉問題には、『老人福祉法』『介護保険法』で対応されていますが、1963年に『老人福祉法』が制定されるまでは、高齢者の福祉に関する法律はありませんでした。では、どの法律が対応していたのか?実は、『生活保護法』で対応していたのです。第二次世界大戦以前は民法の規定により、絶対的な『家父長制』が敷かれていました。高齢になった親を子供が面倒をみることが、法の下で半ば義務付けられていたのです。戦後は民法が改正され『家父長制』は廃止されましたが、だからといって人々の意識がすぐに変わるわけではありません。しかも、当時は5人兄弟なんて当たり前、10人兄弟も珍しくない時代です。“よほどの事情”がない限り、誰かが面倒をみられたんです。“よほどの事情”、つまり戦争で家族を亡くされた方や、単身者で身の回りのことができなくなった低所得者の方が、『生活保護法』の対象になっていたのです。

 

“よほどの事情”に対応する施設(当時は“養老施設”と呼ばれていました)ですので、当然ながらその運営は酷いものだったようです。狭い部屋に複数の入所者が生活し、食事も不十分、排泄もいわゆる“垂れ流し状態”、もちろんクーラーなどないので、蒸かえる部屋には異臭が立ち込め・・・徘徊防止のために柱に縛り付けられることもあったそうです。多少の改善はあったと思いますが、こういった状況は1970年代も続いていたようです。そういった状況を見た当時の多くの方々は「こんなところに親を入れるぐらいなら、頑張って自分でみよう」と思ったに違いありません。

 

さて、冒頭で監督責任を問われた妻――1970年代前半には50歳ぐらいでしょうか?ちょうど、ご自身の両親の介護問題で悩み始める時期だったのではないでしょうか?「あんな思いを自分の夫にさせたくない」そう思われていたとしたら・・・繰り返しになりますが、何とも悲しい判決ですし、これが当たり前になったら寂しすぎます

 

後者の事例に対して、館林市は「認知症に起因し、社会全体で考えるべき問題。人道的見地から、請求すべきでない」と判断し、特別措置をとりました。また、福岡県大牟田市は『まちで、みんなで認知症をつつむ』という運動を、10年以上続けています(http://www.mhlw.go.jp/bunya/shakaihosho/seminar/dl/02_99-07.pdf#search=’%E5%A4%A7%E7%89%9F%E7%94%B0%E5%B8%82+%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87′)。何だかちょっとだけ救われた気がしました。

 

 

おおむた

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